~いざ、美しき軽井沢の森へ~

落葉のあと

落葉のあと

秋が去ってゆきました。
まるで木枯らしに急かされるかのように……。
ついこの間まで、窓という窓はすべてオレンジ色に輝いて
部屋の中までほんのりと紅く染まっていたのに……。

いま、Kazusaの森は、
静謐な気に溢れた裸木の森になりつつあります。
毎日、風が渡るたびに、
これでもか、これでもか、と色づいた葉がふるい落とされ、
いまでは大地がすっかり枯葉色に染まって、
森の底が明るくなりました。
わずかに残っているナラやクリの葉も、
はらり、はらりと絶え間なく舞い落ちてゆきます。
冬の訪れを告げるかのように……。

こうして木々たちは、いのちをつなぐために、
惜しみなく葉を落として、
長い冬を越す準備に勤しんでいます。
クマがたくさん食べて
体脂肪を蓄えてから冬眠に入るように、
樹木もこうして冬に備えるのです。

寒くなると根元から水分を吸い上げなくなるために、
葉が枯れて落ちてしまうのですが、
これは日照時間が短くなって光合成の力が弱まってくるからです。
そうすると葉を緑色に見せるクロロフィルも生成されなくなり、
葉の色が変わります。これが紅葉(黄葉)です。
また、わずかな水分を維持するためには、
水分が蒸発しやすい葉がないほうがいいに決まっています。
だから競い合うようにして葉を落とします。これが落葉です。
紅葉(黄葉)は、
色素の関係で黄色の葉になって落葉するものと、紅くなって落葉するもの、茶色で落葉するもの、とがあるようです。
いろいろと難しいことは専門書に任せましょう。
ただ、知れば知るほど、
自然のいのちの仕組みにはびっくりさせられます。
こんな仕組み、誰がつくりあげたのでしょう。

こうして葉はなくなっても、
もちろん、木そのものが枯れたわけではありません。
その証拠に、
葉を落として裸木になったモミジやドウダンツツジなど、
よくみるとすでに芽が出ています。
これは休眠(越冬)芽で、
冬芽(とうが、ふゆめ)と呼ばれるものです。
来春に花になったり葉になったりする芽で、
夏ごろからすでにつくられるものだそうです。
ただ落葉樹によっては、
樹皮の中に埋もれているものもあるので、
すべてがすべて外に頭を出しているとは限らないようです。

このように、すべてが眠ったように見える裸木の森ですが、
木々の1本1本は生きていて、
春になるとそのいのちを一斉に萌え出させるために、
エネルギーをしっかり蓄えているのです。
そう思うと、
裸木が逞しく、かつ頼もしく見えてきます。

夏の、あの青々とした葉をたっぷりと蓄えた
エネルギッシュな木もいいですが、
わたしは裸木が好きです。
美しいと思います。
饒舌さとは縁のない寡黙なあの姿、
装飾も何もない、
ありのままを剥き出しにしたあの姿は、
余分なものを削ぎ落とした美しい名文のようです。
シンプルな素の姿ほどより多くのものを語り、
言葉は少ないほど、より多くの感動を呼びます。

人間も、背伸びをせず、相対的な価値観に振り回されず、
ありのままの等身大の自分を大切にしながら生きること。
それが一番素晴らしいことなのかもしれません。

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